並列化とクオリア ― 2009/03/09 23:06
チョット前にTVアニメの攻殻機動隊SACを2ndまで全部みた
んで、そのあとイノセンスを見た
んでもってそれらの差異としては原作である
攻殻機動隊の人形遣いとの融合を果たすか否かという分岐らしい
まぁSACは人形遣いと出会わなかった場合の話らしいが…
んで、SACの1stにて素子が葵と並列化して笑い男の(というか葵の)動機を知り、取り込み、事件を引き継ぎ、ラストへといたる
この並列化、実際のところどこまで【並列】化するのだろうか?
最後の最後に素子が葵と会話する中に 「並列化の果てに個を取り戻すきっかけをつかんだ」的なことを葵に告げるシーンがある
まぁタチコマのことを指している話ではあるのだが
それは横においておいて、並列化の果てに個を取り戻す
という発言からすれば、並列化は二者間の要素を全て同値化する行為
となるのであろうか?
AとBという自分つがおり、これらが並列化を図った場合
Aの体験はBへ、Bの体験はAへそれぞれ共有化され
AとBは同じ経験を持つ差異はあれどもほぼ同じような人物へと
成り果てるのだろうか
しかし、これは意外に難しい問題だ
電子制御されているコンピュータの静的な値や
コンフィギュレーションファイル、デジタイズされた映像データのような
各個が独立して存在し、まさしく客観的なものに関しては
並列化の意味や方法はあるだろう。
しかし、ここに個人や思想、人間というフィルターを通したものをデータ化し、共有化した場合というのはどうなるのだろうか
もし、AとBの視覚に実は大きな隔たりがある場合
AとBの並列化はいったいどうなるのだろうか
もし、Aにとっての赤色というものがBにとっては緑色だったりした場合
並列化の結果、AとBがそれぞれ手にする映像記憶はどちらに起因するものになるのだろうか
もし、AがAの記憶をベースに、Bの視覚を入手した場合は
あくまで他人の視覚のみを取得することになり
映像記録を貰うだけに過ぎない。この場合、書くこの個性が並列化によって失われていく(並列化していく者たちが似通った思考に陥っていく)ようなことにはならないと思われる。
では、AはAとしての情報をベースにBの情報を結合するようなものだろうか?
こうなれば素子の言うことやSACの世界観には納得がいく
が、精神的にこれは耐えられるものだろうか
正直に述べれば、A+B=Cになっているため並列化を行った瞬間から
AとBは外見だけを残し、実はCという新しい人格を宿したいわば双子のような存在になるわけだ
なんか宇宙人にさらわれて戻ってきた少年みたいになってる…
というかこれは並列化じゃなくて女神転生の合成的な話だな…
とまぁ、話がそれたが要は並列化とは【何を】【どういう風に】並列化しているかわからないワケだ
別にわからなくてもいいんですがね。
だが、SACの世界の人々は個性を持ちながら、情報の並列化を結構行っているようで、彼らは何を並列化しているのでしょうか
【クオリア】という観点を持ってしてみると彼らの行為は至極不思議なものなので…
SACでは社会インフラに組み込まれているかのような類似事件の発祥性をもってStandAloneComplexと名づけ
一様性の危険を発しているようにも見えます
2ndGIGでも情報とウィルスを用いてのSACを引き起こし
英雄を創作するという大きな話となっている
その合間合間にはゴーストダビングなんて話もでてきます
ゴーストはダビングしないといけないもののようですが、並列化はできないものでしょうか
AIチップと人間は並列化できるのでしょうか
クオリアという観点をどうにか説明できないかと
攻殻から並列化をとりあげて考えてみたらこんな事になってしまいました
ホントに並列化って何してるんでしょうね…
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